凡愚モン日記

オッサンの独り言ブログ。何にでも興味を持ち、一つの事に拘らない(長続きしない)薄ーく・広ーい内容が自慢のブログ!

読んじゃったよ(後編)

 前回の続きです。(少し間が空きましたが・・・)キリスト教伝来時期になりますと、この「国のかたち」(司馬チックですな)が完全に見えてきます。つまり諸宗教・思想の中から合理的・不合理的で取捨選択するという姿勢です。半島などと異なり、朱子学一辺倒ということもなく、非常に柔軟な対応です。まぁ尤もこういう姿勢は原理主義者から見れば異端者という見方をされる場合も多いのですが。

 そういうことからでしょうか、日本はハンチントンによると主要文明の一つと認識(中国文明とは別ですよ!)されていますが、この日本文明を共有する国が他にないという特徴があると思います。ガラケーなる言葉がありますが、有史以来、ガラケーではないかと思う次第です。しかし、ガラケーで悪いのか、悪い面もあるでしょうが、スーパーポジティブに良い面を考えていくべきでしょう。

 ガラケーとスマホ、技術的なことはよく分かりませんが、数々あるサービスの中で電話機能にメールとWebを追加しただけのものがガラケーで、これは取捨選択した結果で非常に日本文明的な日本が主体的に進化した結果だと思います。自分達にとって何が重要・必要なのか試行錯誤の結果、あう言うカタチになったっと思います。何だか最近ではガラケー人気が復活しているようです。

 非常にグローバルになった世界、ハイテクすらモジュール化したパーツの組み合わせで、トホホな世の中です。話が逸れますが、パソコンやスマホなどはモジュール部品の組合せですが、クルマはそうではありません。同じ工業製品ですが、クルマはデザインであったり内装の質感であったり、エンジンの個性であったり、モジュール部品とのハイブリットです。20年以上前、NECのパソコンに大金を払い、後生大事に使っていましたが、今やパソコンやタブレットは普通の家電的扱いです。

 話を元に戻しますが、このガラケー文明は何だか凄いんですよ。大阪堂島で人類初の先物取引が始まります。所謂、デリバティブの発明です。また、秀吉の慶長大判はある意味、金本位制度ですし、詳細は忘れましたが、江戸時代の東北の医者にマルクスの共産思想とほぼ同じ思想をもったヒト(時間的にはマルクスより早かったと思います)がいたそうです。ノーベル経済学賞受賞者がいないので、元々、日本人には経済的なセンスはないのかと思っていましたが、こっちが先なんだという部分もあります。江戸時代に幕府や各藩がどういう経済運営を行ったのか調べてみたいですな。相当レベルが高いのではないか、そういう気がしてきました。是非、「武士の家計簿」の次は「藩の財務諸表」を出版していただきたいですな。江戸時代にある程度、社会学的な蓄積がないといきなり明治維新にはなりませんよね。本と関係ない話が続きましたが、今日はこのへんで。

読んじゃったよ(前編)

 

 久しぶりに固い本を読破しました。山本七平の「日本人とは何か」です。以前から気になっていた本で、日本人なら一度は読んでおくべき本と位置付けしていましたが、先般やっと読破できました。結構、厚い本ですが途中から一気に没頭してしまいました。最近、大陸や半島と揉めまくっていますが、1000年単位でどういう関係にあったのか、自分なりに理解したいと思った次第です。

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         (今度は逆かよ!すみません)

 国家成立から明治維新までのご先祖様の歴史を分かり易く解説しています。特に学校日本史ではこのように詳細に日本成立を解説してくれないので、高校生くらいには必ず読んで欲しいように感じました。どうして西欧以外で近代国家成立が日本で可能になったのか、長年の疑問でした。明治維新で西欧文明を輸入し富国強兵に突き進んで、軍事国家となり太平洋戦争で心を入れ替えて、平和・通商国家として歩んできたというのが一般的な理解なんでしょうが、それでは全く非西欧国家以外で日本が近代国家になった理由にはなっていません。

 自分なりには、最初の外国との接触、つまり大陸ですが、仏教伝来あたりの外国文明との接し方がこの国の原型のような気がします。面白いことに、規模の大小はありますが、西欧の宗教改革に近い動きが中世にはありますし、民主主義の原型なような事もこの時代に僧侶の中に発生しているとのこです。律令国家の中に「多語毘尼」(たごびに:原始仏教による多数決の原理、一人一票の秘密投票)なる超法規的な意思決定が存在し、これが民主主義と共鳴する伝統を形成してきたということだそうです。律令制度+科挙という大陸や半島ではこのような意思決定方式は生まれません。

 更に大陸や半島と決定的に異なってきたのは武士の勃興でしょう。北条重時(北条泰時の弟)による一夫多妻制批判や式目の設定でしょう。その後、「輔弼責任」という考え方が生まれます。武士道でも君主に絶対的に服従すべきとは規定していないのです。君主の考えと己の主張が相違する場合、何度でも意見具申すべきと「葉隠」にも記載されていますし、バカ殿は「主君押込」なる制度により執行権停止される場合もあります。北条泰時の時代に「評定衆13人」という議決機関ができます。これは政策を多数決で決定するもので、多語毘尼が僧侶から武士にも広がっていったことが分かります。著者は仏教伝来の最大の影響はこの点で、日本の民主主義は仏教伝来に由来するのであって欧米からの輸入ではなく、この基礎の上に西欧の民主体制が導入されたと記載されています。

 民主主義を金科玉条のように唱える政治家や活動家は数多存在しますが、流石、山本七平、彼等の主張とは明らかに異なり、歴史の中にその萌芽を発見し、伝えていくというなかなかの大著です。(誰も期待していない後編に続く!)

働くオジサン

 今、会社に働かない高齢者(50代のこと)が増加していると言う記事をどこかのHPで読みました。自分の会社でも同じです。役職もなく、このまま定年まで、否、再雇用まで視野に入れてノラリクラリとしています。今日は久しぶりにドタマに来ることがあったので、我が身のこととして考えてみたいと思います。

 まず、彼等が何故そうなったのか、理由を考えました。メンタルや健康上の理由でそうなった社員もいますが、そうではなく明らかに別の理由の社員がいます。厳しい職場でバリバリ働いているヒトから見ると信じられないかもしれませんが、私のようにバックオフィス的な職種の場合1割以上、そういう社員が存在します。会社も解雇規制と闘うこともなく必要経費として割り切っているとしか思えません。

 理由は考えたのですが、結論から言えば「よく分からん」と言うのが正直なところです。属人的な問題なのか、会社の組織的な問題なのか、それとも日本社会の問題なのか「よく分からん」のです。私自身は給料分程度は仕事はしないと存在する意味はないと考える方ですが、全くDOSSが異なるのでしょう。接点は見つかりそうもありません。

 しかしです、彼等(確信犯)が仮に解雇されるとすると就職活動でヘトヘトになっている若いヒトに仕事(イス)が回ってくるように思います。勝ち組・負け組が以前に流行しましたが、会社では彼等こそ「勝ち組」ではないかという意見がありました。物事の視点を変えるとそうとも言えるように感じました。

 確かに課長、部長、役員という昇進できるヒトは(1/N)M乗ということですから、殆どのヒトは昇進に関しては自分レベルを客観的に判断して納得するしかないのですが、それと仕事をしないのは別問題です。しかも巧妙なのは「仕事をしない」訳ではないのです。仕事らしきことはやっているのです。この「仕事らしき」こととはどうでも良いようなことをバカ丁寧に時間をかけてやると言うことです。まぁ一種のサボタージュ(死語ですな)ですが、タチが悪いのは、本人は仕事をしていると言張はるんです、サボっていると言う自覚がないのです。

 経済成長率は生産性に完全比例すると思います。日本が最近元気がないように感じるのはこの生産性の上昇がないからではないでしょうか。特にホワイトカラーの生産性は絶望的です。もう高度経済成長期やバブル期のように組織が彼等を抱えきれないところまで来ています。彼等の占率上昇に反比例して一部の社員に負担がかかり、有能な人材が摩耗しているようで中間管理職として少々心が痛いことが多いです。

 こういう問題は本来、経営陣が考えること、と言うかそういうことを考え改善していくのが経営陣と思いますが、何の問題意識も持っていないように感じるのは私だけでしょうか。

 最後に最強の軍隊とは、アメリカ人の将軍にドイツ人の参謀、そして日本人の兵隊からなる軍隊だそうです。会社に置き換えると、アメリカ人の社長にドイツ人の執行役員、そして日本人の社員ということでしょうか。否、韓国人の社員かもしれません。もう日本の会社への就職活動のライバルは同じ日本人と限りませんし、OECDの国に生まれたというアドバンテージは年々激減していきます。厳しい時代がしばらくは続くでしょうが、明けない夜はありません。

 明日も仕事、がんばれ「働くオジサン」!

鍛える!

 50歳が近くなると当たり前ではありますが、まず「眼」にきます。小さい字が見えません。ビンボー臭いコスト削減でよくあるA3会議資料をA4なぞに縮小コピーされた場合、本気でムカつきます。まるで、その会議に来る資格ないぞって言われているように感じます。

 ・8と3は識別できません

 ・横長エクセルシートは眼でなぞると行がズレてしまいます。

 ・ドライバーショットの落ち際が見えません。

 ・降雨夜間の運転時、センターラインが見えません。

 ・腕時計の日付が読めません。

 この他にもいろいろありそうです。情けない話ですが、机に虫眼鏡を入れ一件落着です。ところで、目は鍛えようがないのでしょうか。普段の運動不足を解消すべく、通勤で歩いたり、週末も近くの小山に登ったり歩いたりしています。お陰で足腰は相当鍛えられており、少々の歩きの距離では疲れ知らずです。

 住んでいる街が城下町ですので、市内中心の小高い丘にお城があります。休みの日には必ず登っています。これがエエんですよ。早朝に登れば、観光客もいませんし、清掃も行き届いており、まるで自宅の庭を歩くような顔(どんな顔?)して歩いてます。市内のド真ん中にこんな鬱蒼とした山があるので季節の移ろいなど感じつつ、得意のスマホ聞きながら歩いております。今は紅葉真っ盛りで、こんな感じです。

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  昔の権力者ってのはやはり凄いですな。現在、500年後に残るような建造物があるでしょうか。東京やニューヨークの街はそれなりに凄いんでしょうが、地方都市には何も残らないでしょう。今や、どこの地方都市に行っても町並みは同じです。郊外にバイパス道路が出来、ユニクロやブックオフ、洋服の青山にコンビニ、スタバやマクドナルドと条例で定められたかのように、都市計画上策定したかのように同じ店舗が並びます。500年後どころか5年後も存在するかどうか怪しいレベルです。

 そういう事を考えながら城内を歩くと石垣、門構えや植木など先人の建造物に対する保守・保持の手の入れようはレベルが全く違います。レベルと言うか思想が違います。江戸時代の成熟した文化のなせる技でしょうか。現代の方が江戸時代より後世に残るような建造物を建立できる経済的余裕はあるでしょうが、思想がないのでしょう。科学と技術は進歩しましたが、根本的な思想の部分では逆に劣化しているのではないかとさえ思えてしまします。

 前述の「鍛える」ですが、同じ体の一部なのに、筋肉は鍛える、つまり機能アップというか劣化抑制ができるのに眼はどうなのよと言う感じです。何だか鍛え方が難しい事柄というモノがありそうですね。科学や技術なんてのは散歩やジョギングで足腰鍛える程度のレベルのモノではないか。一方、思想や哲学というのは眼のように「鍛える」ことが難しいのではないか、などと考えてしまいました。

 一応、学校で習えば、2~3時間でニュートン力学の基礎は理解できるし、2~3日あれば相対性理論だって少しは理解できるでしょう。ところが、2~3時間でモネのような絵は描けないし、2~3日ではモーツアルトにはなれない訳です。科学はキャッチアップが簡単でも、その先にはなかなか進めないのですが。

 世の中って面白いですな。

買っちゃたよ

 スマホラジオネタが続きましたが、表題のとおりあるモノ買っちゃいました。やはり折角、イイ音なんですからパソコンのスピーカーではねぇ・・・と言う訳で「BOSE」のスピーカー買っちゃいました。

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写真が横になりません・・・・(泣)パソコンやスマホの世界では今や当たり前でしょうが、オッサンにはこのBluetoothって超便利!もうケーブルには戻れません。これでマンションのベランダにこのスピーカー持って、コーヒー持って、タバコ持って・・・至福の時間!

 しかし、後から気付いたのですよ、実はソニーからも同様の商品が発売されていたことを・・・・、オッサン世代はAppleでなく、ましてやSamsungでもなく、SONYなんですわ。電化製品はSONY、クルマにバイクはHONDA、これが王道です。それが不覚にもBOSE(悪くないですがね)トホホです。

 まぁそうは言ってもいろいろ情報見てるとSONYとBOSEでは甲乙付け難いとの評価が多く、正直買って良かったという感じです。(どっちやねん)パソコンはVAIOなんですが薄く(頭じゃないぞ!)小さい(身長じゃないぞ)、スピーカーも小さい、コンパクト、スモール・イズ・ビューティフル!実は、このブログも三畳ほどの広さしかない書斎(物置?)で書いていますので、スモール以外不可という物理的条件なんです。今、一番に空間を占拠しているのは本です。これから本は序々に電子ブックに移行していくでしょうから、この書斎(物置)も立派なモノになるのです!

 思い起こせば、この三畳空間にデスクトップパソコンとプリンタ、ミニコンポがあったワケです。それが、VAIOになりプリンタ処分し、ミニコンポはこのBOSEですから三畳空間は本当にスッキリし、ミョーに落ち着く空間になってきました。残っているモノと言えばやはり本です。高さ2メートルまで本棚にギッシリです。絶版本ばかりですから電子ブックにもならず、これでも相当吟味して不要本はブックオフへ持って行き、残りこれだけはという本ばかりです。

 今、気付きましたが、このマンションに引っ越してきた時、あまりの収容スペースの少なさに唖然としましたが、その後、所持品を大幅に削減し、必要最小限のモノだけにし在庫圧縮に努めた結果、3LDKで十分じゃん!(ちきりんさん風)というレベルにまで辿り着けました。やはり物事には限界と言うかレギュレーションというか、そういうものがないと進歩しませんな。こういうのが巷でブーム(断捨離?)になっていましたが、際限ない世界というのは下品ですな。

 本どうしようかな?

 

ラジオ最高!(その2)

 前回はNHK関係者のように番組を誉め(?)まくりましたが、NHKラジオ第二放送の強力なライバルを発見しました。それは、放送大学のラジオ講座です。早速、ネットで放送大学のカリキュラムを確認すると、あるわあるわ・・・・朝から深夜まで45分の講義がギッシリ詰まっています。

 その数ある番組の中から試しに「現代東アジアの政治と社会」第7回ってヤツを聴いてみました。内容は蒋介石の台湾が1950年代から現代に至るまでの経緯を簡単に45分にまとめて講義している訳ですが、何とも不思議な感覚でした。何が不思議かと言うと、我々オッサン世代(1960年代生まれ)はまともな近現代史を勉強したことがないからです。つまり、歴史の授業内容が現代まで繋がっているという感覚が乏しいのです。いきなり1945年で切れたり、明治維新で江戸時代人は死滅したような理解が根底にあるように思います。福沢諭吉の人生は半分江戸時代、半分明治時代なんですけどね。

 自分自身、昭和生まれで平成で社会人でしたが、当然に人間は同じで周りの人間も同じで何一つ変わったという感覚はなかったのですが、後世に歴史家が昭和と平成をぶった切るような歴史観を主張すると大きな違和感を感じます。やはり1945年以降、東アジアや世界がどのような歴史を歩んできたか、現代日本人は再度確認する必要があります。放送大学番組でも感じましたが、歴史だと思って講師の話を聞いていると自分が生きてきた時代、つまり自分が同時代人であった頃、新聞・テレビで見聞きした話になると私自身、そこには歴史のロマンの欠片もなく、現実世界、「リアル」の一語しか感じなくなります。

 ベトナム戦争中東戦争文化大革命、テルアビブ、ロイター通信等々、子供の頃メディアから意味もあまり分からないまま記憶している単語は沢山あります。しかし、これらの単語から桶狭間であるとか、楽市楽座とかと言う教科書的歴史単語とは全く異なる嫌な生臭さを感じるのは私だけでしょうか。

 学校で近現代史を学習しなかった我々オッサン世代は何から学習したか、これはもう「ゴルゴ13」を於いて他には考えられません。中国共産党内部の権力闘争やクメールルージュ、人種差別にKGB・CIA・モサドやハイテク産業の裏側など常に国家や国家機関が様々な事情からデューク東郷に仕事を依頼(勿論、非合法)するワケですが、この様々な事情がまさに現代史と言えると思います。

 前述の台湾現代史では、何と台湾の国会議員は1947年に選出されて以降、つい最近の90年代後半(だったと思います)まで再選し続けられたというトリビアなことまで知ってしまう訳です。何だか嫌な生臭い現代史ですが、少し興味が湧いてきたようです。少し体系的にアジア現代史を理解したいと思う今日この頃です。

ラジオ最高!

 スマホに変えて何が変わったか、とにかく電話ではなく、ラジオとして活用している。ただ何となく今時ガラということと、会社からガラケー持たされていたこともあり、スマホにしたが、思わぬ効用というかセレンディピティと言うかラジオとして徹底的に活用している。こうなるとウォークマン(オッサンはこれ!)とかは必要なく、デバイスはスマホだけということになる。しかも、Razikoなら録音も可能。通勤時間はこれでいろいろ聴いている。

 自分でもびっくりしているのは音楽ばっかり聴くのだろうと思っていたが、何と一番聴いて面白いのはNHK第二放送毎週日曜日21:00からの「文化講演会」という番組(番組名からしてNHKらしさ満開ですが)なのである。この番組は各界の著名人がその分野について分かり易く講演するものであるが、これが何とも面白いのである。会社に勤めてもう20年を優に超えているが、仕事に関係ないことについて何ら勉強的なことをしたこともなく、本も読まず、ここまできたが、最近、これでは余りに寂しすぎる人生ではないかと思うようになった。勉強しよう!しかも学生時代と異なり、強制されるのではなく興味本位で勉強がしたくなったのである。

 先週の文化講演会は「ミトコンドリア」であった。う~ん、確かに以前学校で習ったことは覚えているが、このミトコンドリアが人間にとってどういう存在なのか、何も知らず、出張の移動の間中、熱心に聴いてしまった。

 驚いたことに、ミトコンドリアは20~16億年前に2つの単細胞生物同士が合体して真核細胞ができた時から発電というかエネルギーを発生させる機能として存在するに至ったということである。更にこのミトコンドリア内での発電では1平方cm当たり20万ボルトも発電するらしい。如何にミトコンドリアの膜が絶縁能力に優れているとは言ってもこの電圧であれば多少は放電するとになる。そうなると燃料として供給されている酸素とこの放電電子が結合して活性酸素が発生してしまうということらしい。まぁこのような話が延々1時間続く訳であるが、退屈することなく集中して聴けるのである。1時間も講師の話を集中して聴くなどということ自体、これまでの自分には想像がつかない。

 ネットラジオのお陰で、少し日常が変わってきたように感じる。しかし、このNHKラジオ番組はNHKのHP(らじるらじる)で聴けるが、この講演会のアーカイブスがどこにも無いのである。NHK文化番組という文化講演会のような番組をまとめたHPもあるが、過去の放送番組がどこにもなく、かろうじて英会話系番組がポッドキャストしているだけである。やはりNHK、固い、古い。なんとか国民共有の教養財産として活用しようとは思わんのかね。そもそも国民の受信料で制作したモンだぜ。個人的には半島のドラマ流す時点で受信料拒否しようかと思ったが、こういう地味なラジオ番組のファンになってしまい、受信料は払うこととしている。(当たり前か?)

  昨日は英語ができれば世界が広がると書いたが、英語以前に日本語でも凄まじい世界がスマホやパソコンの向こう側に存在するのだ。これを活用して人生を有意義に過ごす、やっと気付いたオッサン・・・・・。人生に遅すぎることはない。頑張るぞ。