凡愚モン日記

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読んじゃったよ(その2)「未完のファシズム」

 この週末、いろいろ忙しかったがその間隙をついて、前々から気なっていた「未完のファシズム片山杜秀著)を読破しました。何と言うか、またまた近代史に関する自分の無知さと戦後民主主義的マスコミと言うか、東京裁判史観に毒されている一般ピープル認識との差に愕然としました。

  やはり当時の軍幹部も時勢と言うか英米開戦がどういうことになるのか、冷徹に理解していたようです。この本、サブタイトルが「持たざる国」日本の運命とあります。第一次世界大戦を観戦武官として、実際にその目で見てきた軍幹部に、次なる戦いはこれまでの日清・日露戦争とは異なる国家の総力戦になることは十分に理解されていたようです。司馬史観の言うように明治のリアリズムがどうして昭和軍部に継承されなかったのか、と言う問題提起がありますが、軍人は元々がリアリストです。昭和軍部もそれは十分理解していたと思われます。皇道派も統制派も日本が「持たざる国」であることは理解した上で、正論、つまり、現時点では「戦えば必ず負ける」と自らの存在意義を全否定しなければならなくなることから、石原莞爾や小畑のように皇軍の精神性に期待するような、著者は密教顕教と言う比喩で説明していますが、まさに苦し紛れの詭弁が独り歩きしていくと言うことなんでしょう。

 この本、新潮選書なのでページ数も少なく、軍幹部の動向だけであの戦争へという時代を全て立体的に描くことは不可能なのでしょうが、軍幹部の苦し紛れの言い訳がどうして独り歩きし、軍内部でもそうでしょうし、政治家や知識階級、庶民にまで浸透していったのか、その部分を仔細に描いて欲しいと感じました。つまり、体制側が本気で心配していたこと、明治憲法改正(統帥権の明確化)は徳川幕府時代への逆戻り(将軍が生まれる)、軍隊が弱いと共産党革命が起こる、富国のためには統制経済等々、現在の我々から考えると当時の空気が分からないため、理解し難い事項を解説してくれる部分がもう少しあるとエエなと思いました。

 それにしても、驚かされることが多い本です。石原莞爾の世界最終戦争と言う思想が法華経を源泉とし、宮沢賢治と直接的ではないにしろ、思想的な繋がりがあったという事実には驚かされました。「銀河鉄道の夜」と1960年代に予定されている日米決戦(東洋代表VS西洋代表)による世界最終戦争が思想的には同じところから出発していると言う事実に驚かされました。

 もう一点は、東条英機ファシストなのかという疑問です。明治憲法の欠点、分権し過ぎで所謂、国家総動員が不可能な憲法、つまり陸軍大臣になっても、内閣総理大臣になっても総力戦の指揮は取れず、縦割り行政に振り回される東条像のようなものも描かれています。確かに東条にはヒットラーのような明確な国家戦略(是非は別ですが)があったとも思えませんし、元々、軍人としてもカリスマ性があったようにも思えません。著者の指摘するとおり首相になっても総力戦ができないので、兼任・兼任と一人でやらないと組織には横串が刺さらなかったということなのでしょう。やはり司馬さんの言われるとおり昭和前半の歴史は知れば知るほど暗澹たる気分になってしまうものですな。

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