凡愚モン日記

オッサンの独り言ブログ。何にでも興味を持ち、一つの事に拘らない(長続きしない)薄ーく・広ーい内容が自慢のブログ!

読んじゃったよ(前編)

 

 久しぶりに固い本を読破しました。山本七平の「日本人とは何か」です。以前から気になっていた本で、日本人なら一度は読んでおくべき本と位置付けしていましたが、先般やっと読破できました。結構、厚い本ですが途中から一気に没頭してしまいました。最近、大陸や半島と揉めまくっていますが、1000年単位でどういう関係にあったのか、自分なりに理解したいと思った次第です。

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         (今度は逆かよ!すみません)

 国家成立から明治維新までのご先祖様の歴史を分かり易く解説しています。特に学校日本史ではこのように詳細に日本成立を解説してくれないので、高校生くらいには必ず読んで欲しいように感じました。どうして西欧以外で近代国家成立が日本で可能になったのか、長年の疑問でした。明治維新で西欧文明を輸入し富国強兵に突き進んで、軍事国家となり太平洋戦争で心を入れ替えて、平和・通商国家として歩んできたというのが一般的な理解なんでしょうが、それでは全く非西欧国家以外で日本が近代国家になった理由にはなっていません。

 自分なりには、最初の外国との接触、つまり大陸ですが、仏教伝来あたりの外国文明との接し方がこの国の原型のような気がします。面白いことに、規模の大小はありますが、西欧の宗教改革に近い動きが中世にはありますし、民主主義の原型なような事もこの時代に僧侶の中に発生しているとのこです。律令国家の中に「多語毘尼」(たごびに:原始仏教による多数決の原理、一人一票の秘密投票)なる超法規的な意思決定が存在し、これが民主主義と共鳴する伝統を形成してきたということだそうです。律令制度+科挙という大陸や半島ではこのような意思決定方式は生まれません。

 更に大陸や半島と決定的に異なってきたのは武士の勃興でしょう。北条重時(北条泰時の弟)による一夫多妻制批判や式目の設定でしょう。その後、「輔弼責任」という考え方が生まれます。武士道でも君主に絶対的に服従すべきとは規定していないのです。君主の考えと己の主張が相違する場合、何度でも意見具申すべきと「葉隠」にも記載されていますし、バカ殿は「主君押込」なる制度により執行権停止される場合もあります。北条泰時の時代に「評定衆13人」という議決機関ができます。これは政策を多数決で決定するもので、多語毘尼が僧侶から武士にも広がっていったことが分かります。著者は仏教伝来の最大の影響はこの点で、日本の民主主義は仏教伝来に由来するのであって欧米からの輸入ではなく、この基礎の上に西欧の民主体制が導入されたと記載されています。

 民主主義を金科玉条のように唱える政治家や活動家は数多存在しますが、流石、山本七平、彼等の主張とは明らかに異なり、歴史の中にその萌芽を発見し、伝えていくというなかなかの大著です。(誰も期待していない後編に続く!)