凡愚モン日記

オッサンの独り言ブログ。何にでも興味を持ち、一つの事に拘らない(長続きしない)薄ーく・広ーい内容が自慢のブログ!

凄いぞ!般若心経

 最近、ヒョンな事から(単にNHKのテレビ観ただけですが・・・)般若心経にハマってしまった。僅か262文字のお経であるが、内容が凄すぎる。何が凄いのか・・・・・ん~、文章にしづらい。兎に角、凄い哲学・思想書だと思う。262文字ではあるが概念的に理解しないといけない漢字が多すぎて、逐条解説的に理解していかないとこの凄さは解からないと感じた。「色即是空、空即是色」誰でも聞いたことはあると思うが、説明できるヒトって非常に少ないと思う。「空」とは何ぞや、「色」とは何ぞや、これまでオッサン世代は科学万能的な教育を受け、物理学を筆頭に科学的に世界を理解できると信じて育ちましたが、般若心経にはやられました。これは凄い思想ですな。

 ここまで読んでくれた人は、この後、般若心経の解説があると思ったでしょう。そうはいきません。自分で調べてみて下さい。ハマることうけ合いです。この般若心経は三蔵法師が天竺から持ち帰った600巻のお経を262文字のダイジェス版にしたものですから、一文字一文字がそりゃ~デープで何とも言えません。

 前述の「空」ですが、「空っぽ」という意味ではありません。何も無い状態でもありません。人間が永遠に理解することができない全世界(宇宙も含む)の法則のようなものと理解すれば良いのでしょうか。例えば科学的な大発見、相対性理論のような、それで理解できるのは「空」のほんの一部であり、背後には膨大な「空」が存在し、永遠に全ては理解することができないということらしいのです。それでは「色」とは何ぞや、これは関係性の中での実在とでも言いましょうか、感覚機能と脳が認識できる実在とでも言いましょうか。私がこのパソコンを認識しているという「色」は同じようにパソコンを見ている昆虫が認識する「色」と同じだろうかということです。絶対的な実在はなく、常に今という時空間的なモノと人間と昆虫それぞれの関係性(これこそ「空」です!)の中で「色」は変化し続けるということらしいのです。「色即是空、空即是色」僅かこの部分だけでも1冊本が書けるほどデープですな。

 般若心経はありがたいお経と言うよりも何か非常に先鋭的な、マルクス以上の危険な思想と言える部分もあります。兎に角、全否定です。悩みでも幸せでも「ある」と言えば般若心経の答えは「ない」です。パラダイムシフトなどと言うヌルいモンではありません。この思想は若輩者には無理でしょうな。まさに、オッサン世代こそが読むべき1冊、常に携帯しておく1冊かもしれません。もう少し、勉強してまた感想をブログにしてみたいと思います。

ぎゃーてい ぎゃーてい はら ぎゃーてい!

No MUSIC No Life!

 会社で20代後半の社員から、いきなり「やっぱ課長もビートルズ世代ですか?」

とのこと。彼らにはビートルズが何年にデビューして、いつ頃が絶頂期であったのか、全く知らないようで、オッサンは皆ビートルズと思っているようである。

 ところで、自分自身はいつ頃から洋楽を聴くようになったのか思い出してみた。それは多分小学校三年生の時、近所にあった漬物工場跡地にあったワルいお兄さん達の溜り場になっていた応接室だったと思う。そこの使われなくなった応接室に勝手にお兄さん達がレコードプレーヤーやオープンリール(死語!)のデッキを持ち込んで、大きな音で音楽をかけていた。当時、同級生の兄貴がいたこともあり、小学校三年生の自分は何故か、その溜り場に時々遊びに行き、そこで初めて出会った洋楽がLed ZeppelinのImmigrant songでした。かなり記憶があやふやではありますが、確かに流民の歌(アーアーアッ)を強烈に記憶しています。その他にもPink FroidのOne of These daysなど70年代ロックは強烈な曲が多いですな。この2曲はイントロからして小学生には強烈過ぎます!!

 しかし、小学生ですから聴いていただけで、バンド名も知らず、まして歌の内容など全く知らず(英語ですから当然です)、ボーカルの顔すら知らないという状況です。それが、ある出会いで強烈にフラッシュバックしたのです。もうお分かりでしょう、記憶にある2曲はプロレスラーのテーマソングなんですわ!

 私の超ベタなベストロック(他にもたくさんありますが)

 第1位 Jampin’ jack flash

 第2位 Kashmir

 第3位 Walk this way

   第4位 Immigrant song

 第5位 Hotel California

これらロックのクラシックスはレコード・カセットテープでしか保管しておりませんので諦めていましたが、youtubeで当時の映像で聴けますがな!

しかも、ストーンズに至っては20代から60代(今、ひょっとして70代?)まで、それぞれの世代でのJampin' jack flashが映像とともに聴けるんですよ!音は余り良くはありませんが、まぁそう神経質になるような系統の音楽ではないので気にしません。

 洋楽ファンではありますが、ラジオ中心でしたし、ナニより田舎で生活していたこともあり、当時のロックバンドは想像の世界でした。それが今の若いモンは羨ましい!!スマホとPCさえあれば、レンタルショップでCD借りてダビングさえすれば、70年代ロックがいつでも聴けるんですよ!それだけではありません。ネットラジオのチャンネルには70年代ロックとか専門チャンネルもあり、サイコーですね。

 ネットラジオ(70年代ロック)を仕事中のBGMにできれば、オッサンの生産性は10%アップ間違いなしですな。

 

 

あの国のこと

 久し振りのブログ更新(って言うか半年以上も放置ですが・・・・・)。いろいろありまして、今日から再開です。それにしても世の中、色んな事が起こっています。校長は盗撮するわ、有名歌手や校長(また校長、大丈夫か?)が覚醒剤するわ、議員がセクハラ野次飛ばすわ等々。まぁどうでも良い事件ですが、そんな事より個人的に気になるのはイラクの問題ですな。どなたかレクチャーして欲しいのですが、スンニ派とシーア派の違いです。一般的にはイスラムの原則は同じ「アッラーの他に神は無し」「ムハンマドアッラーの使徒なり」なんでしょうが、預言者の後継者の血統による世襲について見解が別れているようですが、この事がどれほど大きな意味を持つのか理解できません。(まぁそもそもイスラム自体理解できていませんけど)

 何故、イラクが気になるかと言うと自宅の近くに大学があり、学生用アパートが多いエリアなんですけど、ここにイスラム系住民が多く住んでいるんです。子供の学校にも10%くらいイスラム教徒の生徒がいて、彼等を全く理解していないという訳にも・・・と言う感じがあります。イスラムイコール中東ではないのですが、アジア系やヨーロッパ・北米系、南米系、アフリカ系という大括りでも一番理解が難しいのが中東系という気がします。(アジア系やアフリカ系にはムスリムいますけど)

 前述のシーア派とスンニ派は皮膚感覚では浄土宗と浄土真宗くらいの違いではないかと感じているわけですが、どうやらそうではないように思えます。現在のイラクの混乱は教義の差違によるような単純なものではないことは十分理解しています。ウラには石油利権もありますし、イランとの関係やサウジを筆頭にした産油国の思惑、石油に群がる企業やアメリカ・ロシアなんかも入り乱れて収集がつかないんでしょうな。って言うか、そもそも中東に勝手に国境作ったん、イギリスやらフランスやらでしょう。宗教や人種、伝統や文化等々、お構いなしに引いた国境ですもん、そりゃー揉めますわな。

 しかし、現在では やはりキーになるのは石油でしょうな。あのエリアが石油やレアメタルなど地下資源が全くなく単に遊牧民同士の争いをしているだけなら世界は見向きもしないはずです。私個人はメソポタミア文明古代文明では一番好きで、シュメールと聞くだけで今だに心躍るものがあります。ネット情報ですけど、イラクで1万年前以上前の遺跡が発見され、古代史が塗り替わるのではないかと言う映像見ました。

 そういう意味でもキライではないエリアなんですが、イスラム国なるものまで現れ、どうなるのか、注視が必要ですな。アメリカがどう出るのか、彼等とて基本は国益だけで動くはず、(立派なことは言いますが・・・)録画してるイスラム国関係のBSドキュメンタリー(BBC制作)をこれから観て、少し勉強してみよう!

お正月テレビ番組

 今年のお正月は自宅で過ごすこととなったが、何なんだ正月テレビ番組の体たらくぶりは!仕事柄、正月のんびり過ごすことがあまりなく、今年は久しぶりに3日間、自宅に居ることができたのだが、残念!。

 お陰で読書三昧となった。普段から殆どテレビは見ない生活になっているので、テレビ番組の状況が自分の中では10年くらい止まったままではあるが、あまりに酷いではないか。民放は以前から正月番組と言えばコタツでダラダラとタレントがたわいもない話をすることが多かったように思うが、NHKまで全然ダメになっていることに驚いた。どうしたんだテレビ業界!やることないのであれば放送休止という方法もあるではないか。少しは2014年を展望する的な番組があるのかと思ったが、全くないのである。BS放送も同様で路線バスの旅だの京都再発見だのマジか?という番組ばかりである。ネットでよく言われるテレビの時代の終わりを身をもって体感した三日間であったように思う。在京4局とNHK2、BSも同数、これだけあってトホホですな。これは非常にヤバイ状況ではないのか、テレビに関係ない自分でも危機感がある。あの関西からやたらと出てくるお笑いタレントがテレビを席捲してますな。内容は殆ど飲み屋話程度のことを延々と話しているように思えるのは私だけ?

 私のようなオヤジがまともにテレビ見るのは正月くらいなものなのに、このテレビを見ない世代は言わば新規顧客になる可能性もあるのに、まともな営業をどこもしかけない。唯一、NHKだけが大河ドラマの宣伝してただけで、何か今年の目玉番組とかないんですかね。無いんだろうな。子供の頃、確か朝日放送だったと思うがカールセーガンのコスモスを見て本気で天文学者になろう(笑)と思ったものですが、そういう番組はもう無いんでしょうかね。テレビで世界が広がった世代としてはお笑いタレントの飲み屋話と温泉紹介番組だけでは先が思いやられます。

 しかし、待てよ。これは余りにテレビに期待し過ぎなんでしょうか。飲み屋話と温泉・グルメがテレビと思えばエエんでしょうかね。もう既存民放には期待できませんな。これからは無料のテレビは負のスパイラル(皆が見ない→制作費減→品質劣化→見ない)に陥っていき、有料番組がメインになるような気がします。

 それともう一点、特にBSですが、スポンサーが健康食品オンリーでこれでは番組自体が年寄り向けにならざるを得ませんな。ここにも高齢化が大きく影響しています。つまり未来に向けて希望を持とう的な番組は少なく、やれ膝の痛みだの小じわだの念頭に置いた番組が中心のメディアになるしかないのが実態でしょう。放送自体はデジタル化・多チャンネル化とハード的・ハコもの的には立派になりましたが、肝心のコンテンツは暇な高齢者向けがメインですので、デジタルにする意味も多チャンネルも意味がありませんな。新聞に続きテレビもその使命と言うか賞味期限は切れたということなんでしょうか。このオッサンもジジィになった時、粉末青汁を水に溶きながら路線バスの旅を見ているのでしょうか?(いや、youtubeのRolling Stonesのライブ映像を大画面でガンガンかけてるジジィになってやる!)

謹賀新年

 平成26年、明けましておめでとうございます。

 一年の計は元旦にあり、本日元旦のブログは今年1年の抱負を書きます。

 平成26年、西暦2014年は私の生誕50周年に当たります。1964年、東京オリンピックの年にこの世に生を受け、爾来、半世紀、この東洋の島国で生きてまいりました。

本当に幸せな半世紀でした。「でした」と過去形ではありますが、現在も幸せです。マスコミを中心にあまり自国を褒める文化がないのですが、冷静に考えても非常に良い国に生まれたものだと感謝しております。一応、高等教育を受ける機会にも恵まれ、それなりに人生も充実してきました。今後はこの国の良さを維持・発展しつつ次世代に上手く継承するのが60年代生まれの我々の責務ではないか、そのように考える次第でございます。

 現役として組織でバリバリやれるのも残り10年くらいになりました。そこで、20年くらいのスパンで、今後どうしていきたいか、そのためには今年1年で何をどうしないといけないのか考えてみたいと思います。(仕事チックな発想やなぁ…)

 今迄、ボンヤリとでも将来、どういう人生を歩みたいか、考えたこともなかったですが、流石にサラリーマン生活も残り10年となると考えてしまいます。どうしたいか、憧れは「晴耕雨読、自給自足、自産自消な生活」です。これに向けて残り10年でどこまで準備できるのか、考えてみました。

 いきなりサラリーマンが退職を機に田舎で自給自足生活というのはかなりハードルが高いと思います。その点、私には大きなアドバンテージがあります。実家が田舎に家と土地(かなり広い!)を所有しているということです。やろうと思えば稲作でも野菜作りでも自給自足どころか「道の駅」的なマーケットで販売できるくらいの生産能力は保有しています。この「保有」していると言うところがポイントです。ところが工場でも農場でも同じですが、保有していても活用できる意思・能力(技術)がなければ保有している意味はありません。田舎生まれですが都会志向が強く、良くも悪くも東京へ東京へというのが我々世代の特徴です。今迄、全く生まれた土地を振り返ることもなく、走り続けましたので、大根一本、人参一本作ったことがありません。これからの10年間で農業技術を身に付ける必要があります。

 元々が田舎者ですから田舎生活には何の違和感もありません。現在は東京・大阪のような大都市ではありませんが、中核都市とか呼ばれる地方都市で生活しています。どこかに農地を借りて野菜作りを中心とした農業を一つマスターする必要がありますな。今後やるべきこととしては、

 ① 2~3年で農業技術の習得

 ② 田舎の家・土地への初期投資(古い家の改修ですな)

 ③ 生活の中心を田舎へ移行(移行期間2~3年)

他にもあるでしょうが、漠然とこれくらいは当面取り組まないといけませんね。「取り組まないと」と書きましたが、当然に義務ではありません、自分のやりたいことのための準備ですので、ほくそ笑んでしまいます。元旦くらいは「夢」を持たないといけませんな。しかも実現できる可能性の高い夢(そもそも、それが夢か?)で満足できる自分が何ともエエですな。

 こういう事を書くと、いかにも「田舎暮らしブログ」的になってしまいますが、そうではありません。現在の家も所有しつつ、田舎にも家と農地を所有するという二重生活を実現するのです。どうですかね、これからの生活は2つの生活を持つというのは、アリだとは思いませんか。確かに田舎も物凄い勢いで過疎化していますが、何だか不思議な現象も発生しています。それは田舎の同級生の方がIT的な導入が明らかに私より早い(唯一、ネット導入は早かったんですが)という現実です。例えば30年くらい前にBS放送を初めて田舎の友人宅で見ました。また、携帯電話の所有も先を越され、Amazonの包装紙も田舎で初めて見ました。何だか街に住むアドバンテージのようなものは低下しつつあるように思います。と言うか、ライフラインなんでしょうね田舎では。ライフラインと言うと郵便局がなくなる的なことを声高に叫ぶヒトいますけど、田舎のライフラインは都会人が上目線で言うライフラインとは明らかに違います。それはAmazonであったり、ネット環境であったりでこれらが田舎で利用できないとなるとこれは明らかにヤバイ事態です。

 都会とあまり変わらないライフラインさえあれば、田舎暮らしもそう肩肘張らず目くじら立てずイケそうですね。後は金銭的にどこまで可能かという大きな問題が底辺に横たわっていますが、今日は元旦、あまり生々しい話は相応しくありません。得意の問題先送り作戦です。

 10年後は「週3日の農作業、週2日の読書、週1回の釣り、週1回ゴルフ」生活を実現することを元旦に誓います!

理想のクルマ

 仕事に忙殺され、久しぶりのブログ更新になりました。前回からの続きですが、自分が欲しいクルマについて書きます。前回も書きましたが、私はクルマに移動手段以外の目的に重きを置きますので、私以外にはあまり参考にならないと思いますが….。

 まず、エンジンです。これは少しピーキーなテイストが欲しいですね。ズバリ、直4気筒で良いので高回転型DOHC4バルブ、排気量は1600ccくらいがベストですな。これをフロントミッドシップに置き、ミッションは6速クロスのマニュアルオンリーです。この時点でAT免許保有者は相手にしないという高飛車な態度、こういう姿勢が最近の自動車会社にないように思います。シートは2つで十分、リアシートはスペアでも可です。ボディサイズは小さ目、フィットクラスで十分、そして、ここが肝要なんですが、オープンエアです!車重は900kg以下でお値段は300万円以下、タイヤハウス部分はフェンダーを大きく拡げて、タイヤサイズも前225、後245の50とし、3サイズは上から88、58、90(意味不明…)のダイナマイト級です。

 これに近い国産車となると、中古のS2000かマツダRoadstarしかないのですが、オープンを我慢しても、Zは大き過ぎで高いし、CR-Zか86しかないんです。HONDA関係者の皆さんS660はニッチ市場攻略専用車にしましょう。できれば昔のSのように、S660からS1000、最終的にS1600までシリーズ化しませんか。もっとHONDAには我儘なクルマ作りをやって欲しいですな。前述のとおり、6速クロスしか設定がないとか、エアコンやオーディオなんぞ全てオプション設定にし、ボンネットを開けてオイル残量すら見ないドライバーは相手にしない、屋根付きガレージのないヒトには所有できないとか、つまりメーカー側が明確に設定した消費者だけを相手にクルマを作るのです。何から何まで平等的なクルマ作りは卒業しましょう。

 この思想が全てをつまらなくしているように思います。誰にでも運転できて、峠道から長距離ドライブ、近くのコンビニまでの日常生活の足としても使えるとなると、これは全くつまらないのです。以前、東京で成功した女性社長をテレビで見ました。貧困から水商売、その後ネイルサロンが成功した方で、颯爽と白のフェラーリで登場してきました。ポルシェもフェラーリもこのザマです。クルマに興味がない30代の女性社長が経済力にモノ言わせフェラーリに乗る、ここで言いなりになるフェラーリが情けない。例えば鬼のように重いクラッチなら女性には無理ですし、ストップ・ゴーの多い都会ではマニュアルはクルマに興味ないヒトにはキツいでしょうし、そういうスペックからして相手にしないオーラ全開というクルマがこの国にも欲しいですな。そんな奇特な人間相手に商売になるかとHONDA関係者の方々の声が聞こえてきそうですが、クルマは作るだけでなく売ることに関してもグローバル商品です。人口の0.01%でも地球規模で言えば相当な数です。

 以前のブログでも書きましたが、クルマはモジュールの塊であるPC製品とは異なり製造国の文化度がかなりプロダクトとして現れます。大陸・半島製の下駄グルマが後発国を中心に販売台数を伸ばすとは思いますが、日本や西欧の自動車メーカーがそれにつられクルマをモジュール化製品にしないことを祈るばかりです。

 最後に、HONDAの関係者の皆さん!S660の市販はどうなんですか?やるんでしょう!やりますよねってか、いつ発売なんですか!!

 

いい・・・・っ!!

 少し時間経過しましたが、アレ凄くいいと思いませんか、アレですよアレ!、東京モータショーに出品された「HONDA S660」ですよ。S2000が生産中止されてからでもかなり時間が経っていますが、また「S」が復活するのでしょうか。否、します!HONDA関係者の皆さん、お願いですので市販してください。

honda_S660_2013TMS001 honda_S660_2013TMS003

(このアングルが一番のお気に入りです)  (まさにコクピット!)

スペックは不明なんですが、排気量は660ccでしょう。(当然です)このまま発売されると嬉しいですね。運転席は戦闘機のコクピットみたいで、単純に運転するヒトだけのことを考えて創られたクルマなんですよ。日本にはトヨタを筆頭に世界に冠たる自動車メーカーがありますが、何と言うのでしょうか、実用性第一と低価格と高品質というコンセプトだけで「遊び」という要素が欠落してますね。以前からHONDAだけはクルマで遊んでくれるメーカーなので大好きでした。

 実は私の車遍歴はHONDA一色で、他メーカーの車を所有したことがありません。今乗っているクルマはもう生産中止されている10年以上も前のクルマに乗っていますので、そろそろ更改時期なんですが、HONDA以外でも「欲しい!」と思える車がなく興味が薄れていたこの時期にS660です。やられました。

  昨今、若い人たちが自動車どころか免許すら持たないという傾向があり、自動車メーカーが危機感を持ち、その結果TOYOTA86が生まれたという話をどっかで聞きました。我々の時代では考えられないことです。大袈裟に言えば「自由」を具現化する重要なアイテムと言えばいいんでしょうか、無いと始まらないものでした。例えば、黄金の80年代に女子をお誘いするのにクルマがないということは海パンとママチャリでトライアスロンに参加するようなものでした。男子はセッセと見栄を張ったものです。若い頃の見栄とそれに伴う努力はその後の人生に於いて決して無駄ではないと思います。(単に自分に言い聞かせているだけにも思いますが・・・・)

 80年代的な考え方でいくとその国のクルマとその国の男子が好きな理想の女性の傾向には相関関係があるように思います。理想のイタリア女性は情熱的でグラマーなソフィアローレン(古っ)っぽいからクルマはフェラーリになるし、ドイツ女性は骨格が丈夫で堅実(これが理想かよ)だからベンツ、ヤンキー娘は陽気でグラマーなコルベットとか。イギリス女性の最高峰は王室ですからロールスロイス、日本女性は清楚で控え目なのでレクサスですかね。まぁ様々意見はあると思いますが、あくまでも80年代基準ですから。クルマは基本的にオトコのオモチャですから、理想の女性像に近付くのでしょう。自動車関係者にお願いしたいのは同じようなクルマをつくって欲しくないということです。クルマは個性的であること以外に存在価値なしです。もうG7の国ではクルマは既に移動道具の領域を超えてますから、発展途上国の移動手段としてのクルマと同じ土俵で争わないでいただきたいと思います。

 次回はHONDA関係者の皆さまにこうすれば売れるS660(大きなお世話ですが)について述べたいと思います。乞うご期待!