凡愚モン日記

オッサンの独り言ブログ。何にでも興味を持ち、一つの事に拘らない(長続きしない)薄ーく・広ーい内容が自慢のブログ!

優しくなりたい♪

 定年退職後は禅寺へ修行に行くべしと書きましたが、もう一つ、社会改革提言(?)として大学卒業後は強制的に自衛隊へ入隊させてはどうでしょうか。昨今の「草食系」と呼ばれる若者ではワールドワイドに活躍できませんし、精神的に弱過ぎのように思います。これは何も徴兵制ではありません。何か若者が喜ぶインセンティブを設定し防衛費削減と日本人の「個」の強さを鍛錬するにはもってこいだと思うのですが、暴論でしょうか。(今日は少しアルコールが入っていますので、暴走するかもしれません。)

 一般的な大学生の生活と自衛隊入隊生活とを比較してみると、起床・睡眠時間や運動量、食事、PC・スマホ接触時間が真逆になり、生物本来の身体能力が向上大幅に向上することが考えられます。このブログを読んでくれている全国数十人の皆様の中には、何をトチ狂ったことをと思われる方がいると思います。しかし、一度でも入隊して朝6時起床、夜11時消灯的な生活や野営生活を1年くらい経験しておくと、私のようにオッサンになてから再度、人生に気合を入れることができます。学生時代に体育会系所属の方なら何となく理解できると思います。若い時にこのような経験のない私のようなオッサンは中々気合が入らないのです。これは本当にそう思います。

 逆に絶対にオススメできないのが、若者に禅寺です。理由は社会に出る前に人生とは何ぞや的なことを考える時間を与えてしまうからです。社会のウラもオモテも体験してから人生とは何ぞや的な事を考えるべきでしょう。リアルさが異なります。世の中に必要とされているのは評論家ではなく、自らリスク取って実行するヒト達なんです。若者に禅寺はヒョーロン家になってしまいそうでオススメできませんな。

 一方、若者のインセンティブとは何でしょうか、そうです「就職」です。そういう精神的にも肉体的にも鍛えられた人間を企業は優先的に雇用すべしです。もう個性だの何だの抽象的な概念で若者を振り回すのは止めて、自衛隊経験者歓迎でどうでしょう!何か「強い事」を否定するような社会になってきていると思いませんか。「やさしい」が多すぎる社会に思えます。正確には見せかけのやさしさとでも言いましょうか、一々うるさい電車やバスの「・・・には席をお譲りしましょう」や空港とかの中国語と朝鮮語の案内(英語のみで十分)、挙句の果ては「地球にやさしい」ときます。「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」、レイモンド・チャンドラーでしたかね。この優しさと前述の優しさとは本質的に異なると思います。どうも酔っ払っているのと元々語彙不足で上手く説明できませんが、昔は「甘やかす」と認識されていた事が「やさしい」事に呼び名が変わってきているのではないかとも思います。「個」として強くないと生きていけませんし、その強さの裏付けがあってこそ、本当の「やさしさ」になるのでしょう。「個」を鍛える方法として自衛隊入隊を提言しました。今日の飲み会で若いヤツが「やさしくなりたい」をカラオケで熱唱していましたので、気持ち悪くなり、何故か「自衛隊」を思い付いたという次第です。

老後をボ~ッと想像してみた!

 仕事が早く切り上がったので、久し振りに本屋で暇つぶし。ん~ん、50歳からの○○的なタイトルの本が結構ありました。50歳と言えば、あー、もう10年で現役引退、15年で年金生活者ですか・・・・トホホですな。15年前は35歳なわけで、あの頃からの時間とこれからの残された時間が同じなんですよ。そんな算数的なコト考えても仕方ないので、一冊手に取って読んでみる。世の中には自分の人生に自信を持っているヒトがいるんだなぁと言うのが素直な感想。曰く、50代はこうすべし的な内容が多かったように思います。大きなお世話だとも思いました。まぁそういう本の中にも「ん~」と唸ってしまう本もあり、1冊買って先ほど読んでしまいました。

 内容は「禅」的な生活を奨励するものです。最近、般若心教だの禅だのエラくスピリチュアルな世界に入りつつありますが、「禅」は日常的な事、食事や睡眠、生活一般を修行の場と捉え、実践する哲学ということらしいのです。座禅組むだけではないようです(またの機会に鈴木大拙は読みます!)。自分自身の生活を振り返ってみても、食事は時間に追われ、しかも誰かが作ってくれたものを食べ、二日前に何を食べたのか記憶にもなく、単なるエネルギーと栄養を補給しているだけの面が強いですし、睡眠についても疲れを取るために倒れるように寝床に入っています。現代人であれば多かれ少なかれそういうモンでしょう。

 しかし、この禅的生活では、朝は少し早く起きて掃除をする。履物は揃える。呼吸を整える。など「それがどうしたっちゅうねん」(何故か関西弁)という内容なんです。誰でも1~3回くらいは可能な簡単なものです。簡単なことを兎に角毎日続ける、これが「言うは易し行うは難し」で、まさに修行になるんでしょうな。今は仕事中心の生活ですが、例えば自分が年金生活者になり、時間はあるがお金がない生活を余儀なくされるとしたら、禅的生活は最強のように思いました。

 生活者として日常の些事に禅的に取り組むとは、毎日決まった時間に起床し、掃除、食事(一汁三菜ですよ)の用意、洗濯、また食事の用意、これを淡々とこなしていくことなんでしょうね。そのためには、そういう日常瑣末な事に前向きに取り組める精神構造を備える必要があります。ではどうすれば前向きに取り組める精神構造が備わるのでしょうか。個人的には自力展開は難しいように思います。そこで、これを強制的に禅的精神構造に変えることが必要ではないか、そう思いました。

 具体的にどうするか、60歳定年から65歳年金支給まで禅寺で修行させるしかありません。こう書くと強烈な反論があると思いますが、多分、これをやれば会社での老害がなくなり若い社員にチャンスが回ってきます。また、当の高齢者も成人病だの生活習慣病だのはこの修行中に完治するので、医療費も大幅に削減でき、健康で長生きできます。しかも世俗と離れ5年間も自分自身と向き合う訳ですから、もうほぼ哲学者です。きっと新しい哲学や思想、文学が花開くことでしょう。日本は民主国家ですから強制的にこういう制度は無理ですから、こういう法律による雇用延長(会社的には迷惑この上もない)にも応じず、禅寺行き老人を増やすには、税制上のインセンティブでも働かせて欲しいものです。10年後の自分は間違いなく禅寺へGo!ですけどね。

読んじゃったよ(その2)「未完のファシズム」

 この週末、いろいろ忙しかったがその間隙をついて、前々から気なっていた「未完のファシズム片山杜秀著)を読破しました。何と言うか、またまた近代史に関する自分の無知さと戦後民主主義的マスコミと言うか、東京裁判史観に毒されている一般ピープル認識との差に愕然としました。

  やはり当時の軍幹部も時勢と言うか英米開戦がどういうことになるのか、冷徹に理解していたようです。この本、サブタイトルが「持たざる国」日本の運命とあります。第一次世界大戦を観戦武官として、実際にその目で見てきた軍幹部に、次なる戦いはこれまでの日清・日露戦争とは異なる国家の総力戦になることは十分に理解されていたようです。司馬史観の言うように明治のリアリズムがどうして昭和軍部に継承されなかったのか、と言う問題提起がありますが、軍人は元々がリアリストです。昭和軍部もそれは十分理解していたと思われます。皇道派も統制派も日本が「持たざる国」であることは理解した上で、正論、つまり、現時点では「戦えば必ず負ける」と自らの存在意義を全否定しなければならなくなることから、石原莞爾や小畑のように皇軍の精神性に期待するような、著者は密教顕教と言う比喩で説明していますが、まさに苦し紛れの詭弁が独り歩きしていくと言うことなんでしょう。

 この本、新潮選書なのでページ数も少なく、軍幹部の動向だけであの戦争へという時代を全て立体的に描くことは不可能なのでしょうが、軍幹部の苦し紛れの言い訳がどうして独り歩きし、軍内部でもそうでしょうし、政治家や知識階級、庶民にまで浸透していったのか、その部分を仔細に描いて欲しいと感じました。つまり、体制側が本気で心配していたこと、明治憲法改正(統帥権の明確化)は徳川幕府時代への逆戻り(将軍が生まれる)、軍隊が弱いと共産党革命が起こる、富国のためには統制経済等々、現在の我々から考えると当時の空気が分からないため、理解し難い事項を解説してくれる部分がもう少しあるとエエなと思いました。

 それにしても、驚かされることが多い本です。石原莞爾の世界最終戦争と言う思想が法華経を源泉とし、宮沢賢治と直接的ではないにしろ、思想的な繋がりがあったという事実には驚かされました。「銀河鉄道の夜」と1960年代に予定されている日米決戦(東洋代表VS西洋代表)による世界最終戦争が思想的には同じところから出発していると言う事実に驚かされました。

 もう一点は、東条英機ファシストなのかという疑問です。明治憲法の欠点、分権し過ぎで所謂、国家総動員が不可能な憲法、つまり陸軍大臣になっても、内閣総理大臣になっても総力戦の指揮は取れず、縦割り行政に振り回される東条像のようなものも描かれています。確かに東条にはヒットラーのような明確な国家戦略(是非は別ですが)があったとも思えませんし、元々、軍人としてもカリスマ性があったようにも思えません。著者の指摘するとおり首相になっても総力戦ができないので、兼任・兼任と一人でやらないと組織には横串が刺さらなかったということなのでしょう。やはり司馬さんの言われるとおり昭和前半の歴史は知れば知るほど暗澹たる気分になってしまうものですな。

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え~、また会議やんの!

 今年もまた手帳を変える季節がやってきました。私の業務は部全体のスケジューリングが大きな位置を占めるため、手帳には拘りがあります。一応、部全体のスケジューリングにはPC使うんですけど、これが・・・・・・なんですわ。偉いヒトは全て口頭指示ですし、しょっちゅう日程変更あるし、会議や行事への出席者はお気楽に変更言うしで、全くPCやタブレットでは対応できず、手書き手帳しか頼りにならないというトホホな状況なんです。全く社員個々(特に幹部クラス)が、その個々の都合で意見してきますし、基本、皆さん会議嫌いですし、困ったものです。しかも、各課・各自の「紙の日程表」やら「ホワイトボードへの記入」やら、そこらへんにスケジュールが転がっています。つまり、大元が変更になると何種類のスケジュールを訂正しないといけないのか、泣けてきます。ホワイトカラーの生産性というネタが叫ばれて久しい昨今ですが、これで生産性なぞどうして上がるものでしょうか。

 スケジューリングに手間暇かかるのは、会議が多いためです。この会議というのは曲者です。出席者は何一つ(少しはあるかも?)バリューを生むワケでもありませんが、出席すること自体が仕事と勘違いしているヒトが多いように思います。一方のお世話する当方も何かそれらしい(グラフとか入っている)資料を作成し、意見交換し、会議記録なぞ作成しようものなら、完全に一仕事終わったような気になるものです。10月の会議回数を数えてみてゾッとしました。まさに、仕事に合わせてヒトを配置しているのではなく、ヒトに合わせて仕事創っているというコームイン的体質です。これで会社としてやっていけるのですから、ある意味、幸せなモンですな。

  しかし、こんな幸せな時間はいつまでも続くハズがありません。茹で蛙のようなモンで待っているんはリストラしかないように感じます。「自分が社長なら」の気持ちで仕事に取り組め!なんて偉いヒトの話によくありますよね。でも、この現状に何の疑問も持たない幹部が多いんですよ。幹部は実務的な仕事少ないんだから、根本的な部分を見直し・改善し、生産性向上させないとね~。

 まぁ、そういうことで来年の手帳(リフィルですけどね)購入しました。一週間バーチカルタイプで来年もこれにフリクションでまた日程記録していくんだろうなぁ。マジ、フリクションのCMと同じ世界ですな。本当は自分の成長のために、自分の人生を有意義なモノとするために手帳を活用したいんですけどね。3年後、5年後、10年後、どういう人間になっていたいか、そこから逆算して、そのためには現在どうしないといけないか、その一助として手帳があるように思いますが。夢のまた夢というところでしょうか。あ~あ、明日も会議かぁ~

知る悲しみ(その2)

 人間、類人猿(チンパンジー(ボノボ)、ゴリラ、オランウータン)とサル、この3種の遺伝子を比較すると、人間と類人猿の差が2%未満、類人猿とサルが3%以上異なるという話を京大総長がされていました。なっ何ですと~!、チンパンジーとかはサルより人間に近い、つまり人類のお仲間になるとのことでした(冷静に考えれば、だから「類人猿」という呼称なんですよ)。しかし、どう見てもサルですよね。面白いなと思ったのが、チンパンジーは群れています。つまり小さな社会を単位に行動し、ゴリラとオランウータンは家族単位で行動しているという違いがあると言うことです。チンパンジーに家族という単位がないということは、母子は分かるのですが、父親が誰か分からず、群れ全体が父性を提供するということらしいのです。一方のゴリラは家族単位社会しか存在しません。

 どちらが高等なのか、ヒトはそのハイブリットですよね。家族単位ではありますが、社会も構成している。流石、人類!と思っていましたが、そもそも、アフリカの密林で生活していた我等のご先祖様がどうして平原に降り立ったのか、知的好奇心ではなかったことは明らかです。理由は簡単、生活し易いジャングルから天敵の多い草原に出たのは、やはり生存競争に敗れたためです。つまり、ご先祖様はチンパンジーやゴリラとの競争に敗れ、草原に放り出されたのです。前回書いた、海に敗走したサクラマスと同じなんです。 生物の世界、生存競争というのは面白いですな。一度、生存競争に敗れた種が苦難を乗り越え、強い種としてカンバックしてくる。よくよく調べたらこういうケースというのはよくあることじゃないのかと思ってしまいます。

 やはり「強いものが生き残るのではなく、変化に対応できるものだけが生き残るのだ」というダーウィンの言葉は核心を突いていますな。人間も生物ですから、人間社会に当て嵌めてみると一生懸命勉強して東大に入り、大蔵省はいった、ここまでは生存競争の頂点(少し前の話ですよ)に君臨したのですが、その後、官僚の不祥事や天下り、国民からの尊敬感の激減等、環境の変化により生存競争の頂点ではなくなったということでしょう。ただ、歴史に学べば東大・大蔵官僚もご先祖様のようにジャングル(国内)を捨て草原(海外)に踏み出していけば、ごく一部は再び、生存競争の頂点を極めることができるということでしょうか。

 企業組織も同様なんでしょう。いつまでも国内市場での競争に明け暮れていると、その市場競争に敗れた企業が海外へ逃れ、そのごく一部が最強チャレンジャーとなって国内市場に再参戦してくるということでしょう。弱肉強食と言われる生存競争も負ければ終わりという単純なものでなく、複雑系なんですな。

知る悲しみ

 先日、テレビ番組である事実を知ってしまった。それは長年にわたり神秘的な事象として自分の心の中に留めておいたことをいとも簡単にテレビは解説してくれました。それは何かと言うと、「渓流の女王」ヤマメ、この魚には陸封型と降海型(サクラマス)の2種類が存在し、幼魚段階ではその差が識別できず、神の領域(まっ遺伝子レベルってことですけどね)に踏み込まない限り、この問題は解決できないと言われ(勝手に信じていた?)ていたことです。

 何と言っても、「渓流の女王」ですよ、神々しいパーマーク、渓流釣りファンならずとも山深い清らかな渓流に住み、絶対数が少なく、一般人にはまず出会うことさえできない淡水魚というと高貴な感じするでしょう。どうして、降海するのか、何が理由なのか、私個人的に、人間社会に当てはめ、降海型ヤマメ(サクラマス)は学校卒業して会社勤めなど全く選択肢にすらなく、起業して、大きな成功を納め、そして生まれた川(出身地)にベンツを乗り付ける・・・みたいな想像してました。

 しかし、真実はこうです。渓流での生存競争に負けたヤマメが降海し、サクラマスになって帰ってきていることが、あの番組を見て知りました。高貴な淡水魚ヤマメの中で神に選ばれし者が降海するのではありません。単に餌の取り合いで負けたヤツが仕方なく海に行くのです。人間社会に例えると、つまり大学卒業して企業に就職せず自ら起業するのではなく、就職できず、食うに困ってやった商売が当たったということなのです。

 私の中ではこの2つは大きく違います。例えばスティーブ・ジョブスとか孫正義とかが大企業の就職試験なぞ受けるハズがありません。彼等は生まれた時からサクラマスで我々ヤマメとは違うんだと理解していました。それは違いました。サクラマスは一回戦敗退組が敗者復活戦とワイルドカードで勝組まで登りつめたということになります。相当の数のヤマメが海に行き、その殆どは生まれた渓流に帰ることもなく死に絶えるのでしょう。簡単に敗者復活戦と書きましたが、そんな甘いもんじゃないことも想像できます。

 「でも」なんですよ。何だかなぁ~という感じがします。どうしてそうやって全てを解明しようとするんですかね。「よく分からん」コトってそれはそれで想像をかき立て人生に潤い(大袈裟な!)を与えてくれると思うんですがね。全ての事象に合理的理由が存在するというのもツマらん世界に思えますが。このテレビ番組、結構期待してビデオ撮ってまで観た結果がこれです。もう寝よう・・・・・・。

 サクラマス

                  ヤマメ(20cm)         サクラマス(60cm)

 

 

 

 

買っちゃったよ(その2)

 

 以前のブログにも書きましたが、どうもMacが好きになれず、Sony命と書きました。そのsonyらしい商品、あったらイイな商品、それがnasneです。まぁ単純に言えばネットワーク上のメディアストレージ(要するにビデオ)ということになりますな。パソコンはパソコン、テレビはテレビという別々に発展してきたものですが、ここに来て放送自体がデジタル化したのに相変わらず別々というのはどうなのよ?という感じがします。

 しかもこのnasneは値段が1万6,000~8,000円と1TBのビデオと考えれば非常にリーズナブル(1G当たり20円以下)なこともあり、ついポッチってしまいました。

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 今のところSONYオリジナルで類似商品はないように思います。しかもスマホから録画予約がネットワーク経由で可能です。VAIOとの相性も抜群ですし、スマホSONY製なら完璧でしたが残念ながら今は無きNEC製です。まぁそれでも特に問題はなく十分活用しています。昔のSONYのような感じて好感度高いですな。と言うか、どう考えてもこの方向ですよね。4Kとか8Kとかではないように思いますが・・・・・。まだまだ観たい番組をチョイスして録画という容量レベルですが、1週間・24時間・全放送局全て録画には至っていません。

 ここまでハード系は便利になってきていますが、肝心のコンテンツが駄目ですな。特にBS放送が泣けます。「半島の安物ドラマ・通販・再放送」この黄金の低コスト御三家が9割占めているんじゃないでしょうか。唯一テレビ東京系のBSが日経新聞あたりと組んで制作している番組がまぁまぁかなと思います。NHKBSの海外ドキュメンタリーもレベルの高い番組が毎日放送され、観る時間もなく溜まる一方になってきています。ラジオもネットですし、テレビもネットになり、本当にコンテンツ勝負になってきました。個人的にはアゴラチャンネルとかGACCOとかネット番組としてレベルが高いものが増えてきて本当に便利になりました。

 オトナが興味を持って勉強すること、単に消費としての勉強(子供の勉強は「投資としての勉強」のような気がしますので)に応えるコンテンツに人気が出るように思います。「テキスト(PDF配信)+ネット放送」、画面見ながら解説を音声で聴くという消費としての勉強はニーズあると思いますが、皆さん如何でしょうか?